ろみちゃん
おーみん
- なぜ母の日は5月第2日曜日なのか…
- 母の日の由来を教えて欲しい…
おーみん
まずは母の日が誕生した背景を知ろう
母の日というと毎年5月の第2日曜日に日頃の苦労を敬い、感謝の気持ちを伝えたりカーネーションを贈ったりする大事な日ですよね。
誰もが知っている「母の日」。
なぜ5月の第2日曜日なのか?なぜカーネーションを贈るのか?
どのようにしてこの「母の日」が誕生したのかお伝えしたいと思います。
アメリカが発祥・・・
1907年5月12日、アンナ・ジャービスという女性が亡き母であるアン・ジャービスを偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で追悼式を行い、白いカーネーションを贈ったことが今の日本やアメリカでの母の日の由来となります。
アンナ・ジャービスの母であるアン・ジャービスは19世紀後半から20世紀初頭にかけてアメリカで活躍された社会活動家です。
・なぜアンナ・ジャービスは亡き母の追悼の思いに駆られたのか?
アン・ジャービスがアンナを授かる前後アメリカは南北戦争の真っただ中でした。ご自身が女性だけで結成していた「母の日ワーククラブ」という公衆衛生運動団体を率いて敵味方関係なく戦争で負傷した兵士の手当などを行っており戦後も「母の友情の日」として南北の敵同士を結びつける平和的活動も行っていたそうです。
そんな母アン・ジャービスの活動に心を打たれた娘のアンナ・ジャービスが追悼の意を込めて母の死後から2年後の1907年5月12日に追悼式を開きました。
翌年の1908年5月10日に同じ教会にて最初の「母の日」を祝ったそうです。この時娘のアンナ・ジャービスは参加者全員に母親であるアン・ジャービスが好きだった白いカーネーションを手渡したことで白いカーネーションが母の日のシンボルとなったそうです。
・そしてアメリカ全土へ広がった
アンナ・ジャービスさんの母に対する敬意や感謝の気持ちを伝える日「母の日」として定義してこのアンナ・ジャービスさんの意思や母への感謝の大切さが共感を呼びアメリカ全土へと広がっていきました。
1910年にアンナ・ジャービスの出身地であるウエストバージニア州の州知事が5月の第2日曜日に「母の日」にすると宣言。
そして1914年に「母の日」はアメリカの記念日となり5月の第2日曜日と当時の大統領「ウィルソン」によって定められました。
カーネーションの色
アンナ・ジャービスが母の祭壇に白いカーネーションを贈ったことから今では母が健在であれば赤いカーネーション、亡くなっていれば白いカーネーションを贈るようになり、現在の母の日にカーネーションを贈るという習慣が出来たといわれています。
日本で「母の日」が普及したきっかけ
お菓子メーカー「森永製菓」と深い関わりが・・・
1937年5月8日~9日、東京豊島園にて「第1回森永母の日大会」を森永製菓が開催。約20万人のお母さんが集結したそうです。
全国のお母さんに感謝の気持ちを伝えたり楽しんでもらいたいという想いから企画されたそうです。これがきっかけとなり日本全国に「母の日」運動が広まっていきます。
もともと1931年に大日本連動婦人会が結成され、その際昭和天皇の皇后である香淳皇后の誕生日である3月6日を「母の日」としたが普及はしなかったそうですが、1937年5月の森永製菓の森永母の日大会をきっかけに全国に母の日運動が広まっていき1949年頃からアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになったそうです。
まとめ
- 母の日の由来はアメリカでのアンナ・ジャービスが母への感謝の気持ちや敬意がきっかけである
- 追悼式の祭壇に白いカーネーションを贈ったことがカーネーションの由来である
- 日本で母の日が広まったのは森永製菓の企画イベントが大きなきっかけである
おーみん